本に書いてあったか、講演会に行った時か、忘れたが、作家の五木寛之さんが、このようなことを言っていた。
『 ストレスで病気になったり、癌になるんだったら、僕らの世代のように戦争を経験し空襲警報がでれば、
防空壕に逃げて入っていた人たちは、みんな、何らかの病気か癌にならないといけない 』
確かにそうです。
ストレスで病気になるということは一般健康系の本に、書かれていることが多い。
プラス思考だとか、「イキイキ・ワクワク」だとか、リウマチが治ることをイメージするだとか、書いてあることを目にすることが、多々ある。
今から、16年、17年ぐらい前だったと思う。
僕は、病院の「東洋医学・リハビリ科」で働いていた。その時分は、まだまだ戦争体験者の患者さんが多かった。
足を銃で撃ちぬかれた人、背中に爆弾の破片が残っている人、突撃命令で突っ込み生き残った人、特攻機の整備兵だった人、焼夷弾で火傷した人。
潜水艦の魚雷発射係りだった患者さんは僕にだけ、いつも、「おはよう」の代わりに無言で、手を縦にした海軍式の敬礼をしてくれた。(海軍は狭い艦内のため、肘を下にした縦型の敬礼になる)
みんな、僕が担当した患者さんだ。
その中で、昭和3年生まれの女性の患者さんは思い出が深い。
たまたま、僕が担当することになった方だったが、整骨院で電気、マッサージを行ったが、膝の痛みが取れないため、
知人に紹介され、鍼治療を受けにきた。
鍼治療後、すぐに効果が出たため、僕を担当にして欲しいということで、その後の、鍼治療を受け持つことになった。
この方と話した内容で、思い出すのは、戦争の話。
戦争中、10代の女学校に行っていたが、戦局が悪化してからは、授業はなくなり軍事工場で働いていた。
大阪大空襲の後の、黒く焦げた、空襲でなくなったご遺体を運んだという。今で言えば、高校2年、3年生の女学生がこんなことをしていたわけだ。
「赤ちゃんは生きているのに、親だけ死んでいるんでっせ」
「今も、忘れませんで〜」
「軍需工場から帰り大阪市内に入ったら、そこらじゅう焼けた死体でっせ」
次の日は、軍需工場での仕事はなく、ご遺体を運んだり、空襲後の片付けをおこなったという。
市民プールの水を抜いて、そこにご何十人もの遺体を入れて焼いたという。
さすがに、戦争を体験されている方の話はリアルです。事細かく、話してくれました。
「すごいですね、それ無理とかできないという女学生はいなかったんですか?」と聞くと。
「そんなもん、言えまっかいな〜」
「やるしかありませんで〜」
その他、この方は、学校からの帰り道に艦載機に空から機関銃で撃たれて逃げ、麦畑に逃げ込んで助かったそうだ。
僕ならショックで、何年も立ち直れそうにない。
「怖かったでしょう!?」
「怖いに決まってまんがな〜 んなもん、
みんな麦畑に頭だけ隠してお尻は出てたりしてるんでっせ!!」
大阪空襲の後の焼けたご遺体を市民プールで焼いたり、艦載機から機関銃で撃たれ、逃げたり、これ、今だったらPTSDとか言って「心のケア」というものが必要になる話だ。
PTSDを取るための心理カウンセリングを行い、空襲後の体験のケアが必要になると思う。
しかしこの方、別にこれに関してはトラウマがまったくない。終戦後は、学校を卒業して、結婚し子供が生まれ、孫もできている。
精神的には、至って健康。身体面では、50代の時にメニエール病で耳が聞こえにくい程度。
別に癌にもなっていない。
「ストレス」と今では、普通に誰でも知っている言葉だが、「ストレス」という言葉が、日本に伝わったのが70年ちょっと前だ。ハンス・セリエの「ストレス学説」を発表してからのことだ。
当時の人は、「ストレス」という言葉を知らないし、戦時中なんか、まだまだ知られていない言葉だ。
言葉がないと、存在しない。
哲学系の現象学ではよくでてくる話だ。
ストレスという言葉を知らないと、ストレスを感じていても何も感じないじゃないかと思う。
「トラウマ」という言葉も知らないわけなので、そういうことも起こらないはずだ。
それか、食べ物もないし、空襲で逃げて、身体も心も疲れているため、ストレスを感じる暇もないかもしれない。
あえてトラウマがあるとしたら、この世代に共通して言えることだが、10代の、最も食べ盛りの時に、食べ物がないため、芋やカボチャばかり食べていたので、この手のものが苦手だ。
そのため、食べることに関してがトラウマになり、血圧と体重を減らさないといけないが、食事制限ができない。
「なんで、こんな美味しいものがたくさんあるのに、我慢しんあかんねんな」
「美味しいものを食べれないなら、死んだほうがマシや」
これが、口癖だった。
僕はこの方には、「体重がプラスにならなければ、好きなもの食べてもいいですよ」と言っていた。
「食べるな」と言っても、無理なもんは無理だから。
「ほんまでっか! 好きなもん食べてポックリいけたらそれでいい」
戦争体験のPTSD、トラウマより食べれない、
「ひもじい」という言葉は知って、感じていたので
そこだけが、ストレスになったかもしれない。