今から、22年、23年ぐらい前でしょうか?
20代前半の鍼灸学校に通う学生だった僕は、
鍼灸業界に疑問や憤りを感じていた。
今は、僕が学生時代の8倍もの学校ができましたが、
鍼灸、整骨院の免許を取得する学校も数が少なく、狭き門の業界だった。
クラスメートのほとんどが、鍼灸整骨院で丁稚奉公。
整骨院では、どんな症状の患者でも同じような全身マッサージ。
腰や肩をモミモミマッサージ。
ようするに、健康保険が使える全身マッサージ屋さんといったところだ。
「肩いっぱいもんで、腰は強めで」
という患者の要求にいい加減、ウンザリしていた。
「なんやねん、モミ屋ちゃうで」
「たくさん揉んで欲しければマッサージ屋に行けばいいやんか」
「こんなの、治療ちゃうやんけ」
内心こんな気持ちで毎日を送っていた。
中には、健康ランド的、慰安系を排除した
治療を売りにしていた院もあったと思うが、
今のように、インターネットがない当時は、そういう院がどこにあるか、
鍼灸学校の友人から聞く情報以外は、知る術がなかった。
こういう、治療とは名ばかりの保険の効くマッサージ屋さんばかりの業界、
整骨院の名前には「鍼灸」と書いているけど、ほとんど鍼灸治療はせず、
鍼灸治療を行っていたとしても、患者が痛いという部分しかしない
本来の治療とは懸け離れた鍼灸治療ばかり。
とりあえず、全身マッサージ、どんな症状でも同じ全身マッサージという環境に
まったく将来に対して希望を持てない状態でした。
当時、何かのきっかけで読んだ、芥川龍之介が友人への遺書で書いた、
「唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」
という表現が、「わかる、わかる」と感じていたぐらいなので、
かなり、精神的にも参ってしまった状態でした。
実際、当時、心療内科か精神科か忘れたけど、受診して、
「軽いうつ病ですね」という診断をいただいていた。
悶々としていた毎日を送っていたある日、義兄(姉の旦那)から
「友人に鍼灸マッサージ学校(国家資格のマッサージ資格取得の学校)でも教え、
勉強会をひらいている奴がいるけど、一度、会ってみないか?」
という電話があった。
義兄の友人の先生は週の何回かは鍼灸整骨院でも働いていた。
そこを一度見学して、相談でもしてみてはどうか?というものだった。
学校で教えている先生が働いている鍼灸整骨院だから
もしかしたら、「治す」ことを考え、ちゃんと治療をしているかもしれない、
せっかくだからいろんな院を見てみようと思った。
義兄の友人の先生を宇多先生としておきます。
早速、宇多先生が働く鍼灸整骨院に電話し、見学の日時を決めて待ち合わせ
待ち合わせ場所に来られた、宇多先生は、
当時、30代半ばで長髪でヒゲを生やした先生でした。
「中島君ですか? 宇多です」
正確には覚えていないけど、服装もサーファーチックな感じだったと思う。
僕がイメージしていた先生とはずいぶん、かけ離れた風貌でした。
じゃ、早速行こうか。
薄暗い路地のような所を通り、整骨院に向かいました。
何を話しながら整骨院に向かったかは、覚えていないが、
「駅までの帰り道を覚えておこう」と考えていたことしか記憶にまったくない。
「院長は雇われで、オーナーいるねん」
「院長、スキンヘッドでやで」
整骨院の玄関で、いきなりそんなことを言われてビビりながら院内に入った。
「はじめまして、今回、見学させていただく中島です」
「今日はご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
菓子折を渡して、挨拶をした。
「どうぞ、どうそ、入って」
スタッフは、みんな僕より、7、8歳以上年上で、なぜかみんな長髪。
ロン毛なのだ。 そして、院長先生だけがスキンヘッド、つまり坊主頭。
宇多先生が、「医療人はロン毛はイカン、だから明日から皆で坊主にしょう」
と話しあい、決めたら、院長だけ髪を切ってきてん。 冗談だったのに!
笑ないながら話しだした。
ようするに、坊主頭の院長はみんなに騙されたようだ。
ここは、笑っていいのか、悪いのか思ったけど、
坊主頭の院長も含めて、ロン毛スタッフたちは大笑いしていた。
「そうやねん、いつも騙されるねん」
と坊主頭の院長は、苦笑いで話しだした。
その他にも、院長が騙された話しをしていたけど、
院長以外、坊主という何ともいえない変な威圧感を感じに圧倒されて、
内容は忘れてしまった。
立場的には院長だけど、スタッフで上下関係がなく楽しそうだった。
嘘かホントか分からないが、ジャンケンに負けて院長になったとも話していた。
そんな院長だけど、スタッフからは、尊敬はされていました。
人柄がいい先生だったからです。
今から思えば、宇多先生は、当時の僕の状態を義兄に聞いていたので、
緊張感をほぐすつもりで、院長が坊主頭になった話しをしだしたと思う。
午後の診療時間がスタート。
僕が以前働いていた整骨院とは少し違うやり方だったが、
マッサージをして、受付スタッフが電気をつけるというやり方だった。
僕が学校に入学して、丁稚をしていた時に働いて整骨院では、
どちらかと言えば、院長は説明もしないし、治療を聞いても教えてくれなかった。
しかし、ここのスタッフは色々と分からないことを教えてくれる。
見学していても、「疲れるで、スタッフ室で休みや」
「お茶いるか?」 「タバコ吸うか?、いいでここで吸っても」
いろんなことを本当に教えてくれた。
患者の流れも、止まり、暇になった時に、院長が僕に話しかけてくれた。
「中島君、鍼灸学科やんな」
「柔整は行くんか?」
柔整とは、整骨院の免許を取るための学科のことだ。
当時は、大阪から九州までで、整骨院をするために必要な学科がある学校は、
3、4校しかありませんでした。
めちゃくちゃ、狭き門。
今は、法律も変わり学校を建ててもよくなったけど、
誰でも入れるものではなかった。
規制緩和の影響で、今では至る所に整骨院ばかりありますが。
当時も今もだけど、僕には整骨院をやろうという気持ちはまったくなかった。
しかし、鍼灸だけでは「食えない」「やっていくのは大変だ」と、
周りからよく言われていたので、悩んでもいた。
その気持を、坊主頭の院長に伝えた。
「整骨院よりも、鍼で、東洋医学というもので患者を治したいんです」
「難病というものを治せる鍼灸師になりたいんです」
「しかし、何を勉強すればいいのかさっぱり分かりません」
こんなことを、坊主頭の院長に話しました。
「中島君、鍼は癌にも効果あるねんで」
「鍼灸しっかり勉強したら、治せるようになるよ」
「古典とか学べば、できるようになるねんで」
古典の意味が分からなかったので、坊主頭の院長に質問した。
「なんですか? 古典って」
院長は、「俺も古典はちゃんと学んでいないので、分からないけど、
しかし、東洋医学、鍼灸をしっかり勉強すれば癌でもきっと治せるぐらいになるよ」
色々と鍼灸治療の可能性を丁寧に、坊主頭の院長は教えてくれた。
「これからは、鍼灸をしっかりやった方が生き残れるよ」
「治療ということを学んだ方がいいよ」
そうなんや、癌も鍼灸でよくなるかもしれないんや。
僕はまったく、鍼灸の可能性に目が向けれなかったが、
この坊主頭の先生のアドバイスで、将来に希望が持てた。
その後、すごくワクワクしながら見学したことを、すごく覚えている。
院長は、みんなに、いじられキャラだったが、一目置かれていたことが、
よく分かった気がした。
宇多先生が、「どう、今日は、役にたてれたかな?」
「勉強になったかな?」
と聞かれたので、本当に勉強になったと伝えた。
「また、いつでも来ていいよ」
「元気になれるといいね」
宇多先生は、やっぱり僕が「軽いうつ状態」だったことを知っていた。
「ほんとうにありがとうございました!」
坊主頭の院長、ロン毛のスタッフ、宇多先生に挨拶をして、
来る時に覚えた道に入ると、薄暗かった通りが、飲み屋の明かりで、
明るかった。
これをきっかけに、鍼灸治療の可能性を感じた。
「柔整に行かなくても、できるんとちゃうか?」」
「俺も癌を治せるまでもいかなくても、鍼治療で癌の患者を救う鍼灸師になりたい」
そう思うようになった。
その後、1年ほどかかったが、うつ状態もすっかり回復。
そして、その5年後。
僕は鍼灸整骨院で修行を積んだ後、医療法人系の病院で働き、
ステージ4、余命宣告をされた末期の癌患者に対して鍼治療をしていた。
子宮癌、肺癌、肝臓癌、乳癌の乳房切除後の痛みを取る鍼治療。
癌患者を見る機会を沢山得ることができた。
東洋医学・リハビリ部門の主任にもなった。
僕が働く病院がある町で、タクシーに乗り、行き先の病院名を言うと
タクシーの運転手が、
「その病院、鍼の上手い先生いるらしいですね」
「癌の患者にも鍼をして、痛みが楽になるらしいじゃないですか?」
と、患者さんから聞いたこともあった。
本気でやりたい思えば、夢や目標は叶うんだと思う。
もう、あれからずいぶん経ったな。
なんか、最近、ふと思いだしました。